2023.6.20
麻布十番駅から徒歩約5分。
そばの実の芯の部分だけを使って作る、真っ白で綺麗な「更科蕎麦」発祥のお店と言われています。
創業は寛政元年(1789年)。
お店の歴史はメニューに書かれてあり、本ページ下部に転載しています。
店内中央にはおひとり様用の大テーブルがあり、それを囲むようにしてテーブル席が配置されています。
店内奥には座敷エリアもあり。
更科蕎麦の総本家なので、格式高い雰囲気を想像していましたが、綺麗でありながらもリラックスできる印象。
じっくりと蕎麦を堪能できます。
ここで産まれた真っ白な更科蕎麦
更科堀井総本家にきたら、まず食べて欲しいのが真っ白な更科蕎麦。
ここで作られて評判を呼び、全国に広がっていった産みの親だから。
更科蕎麦は繊細な仕上がり。
ほのかな蕎麦の香りと、優しい歯応え、喉越しがあります。
もう1つは十割蕎麦。
蕎麦の香りが芳醇。極太で弾力も感じるような仕上がり。食べ応えがあります。
写真はどちらも大盛りです。
毎月変わる季節のかわり蕎麦
更科蕎麦に旬の食材を加えた蕎麦。
公式サイトには22種類も記載されています。
例えば1月は桜海老切、柚子切。4月は桜切り。5月はよもぎ切そばなど。
練り込む食材の風味も楽しめます。
また桜であればピンク、よもぎであれば緑など、食材の色が鮮やかに出るので、見た目も楽しい蕎麦です。
1品料理も充実
蕎麦メニューの他に1品料理(蕎麦前)も充実しています。
写真は畳鰯。まずはこれでビールを楽しみながら、プリッとジューシーな鳥焼も。
少しお腹を満たしたところで、特大の海老天が2尾盛られた海老天種を注文して蕎麦に向かいます。
海老天はサクッとした食べ応えある衣、プリッとした大ぶりの海老の身、香ばしい尻尾までとても美味しい。
更科堀井総本家の歴史
メニューには更科堀井総本家の歴史が記載されています。
以下、抜粋。
興味のある方は読んでみてください。
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堀井家の伝によると、創業は寛政元年(1789年)。
初代は、信州特産の信濃布を商っていたのがそば屋に転じたもので、領主保科家の江戸屋敷から程近い麻布永坂町に店を構えた。
看板は「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」。
「更科」とは、信州そばの集散地だった更級の「級」の音に保科家から許された「科」の字を当てたものと伝えられる。
当時から大名屋敷や有力寺院などに出入りしていたが、明治時代半ばの最盛期には、皇后や宮家などにも出前を届けていたという。看板商品は白いさらしなそばと変わりそば。それらに使うそば粉の挽き方を改良し、現在のさらしな粉に近い粉にしたのも、この店の功績とされる。
また、この時期、土産のそばを目籠詰めにして売り出して、こちらも麻布永坂「更科」名物として大いに評判になったという。
各地に「更科」が増えたのは、この永坂の繁栄にあやかろうとしたもの、という説が有力のようだ。
しかし、さしもの名店も昭和初期の恐慌のあたりから家産に陰りが見えて、昭和16年、ついに廃業に追い込まれるに至った。
良造さんは(現8代目当主)「親父が芸者遊びに耽って、店まで潰してしまったそうです」と笑うが、そもそも戦時下で、出資していた銀行も倒産するなど、時代の嵐に飲み込まれてしまった側面も大いにあるようだ。
戦後、店は再建されたが、外部の人たちも入った会社組織となっていたことから、「永坂更科」や「布屋太兵衛」の登録商標は掘井家の手を離れることとなる。
さまざまな曲折があったそうだが、昭和59年12月、良造さんは代々の地である麻布を離れることなく、麻布十番商店街の一角に「総本家更科堀井を開店する。
江戸時代中期以来200年余に及ぶ家業の伝統を、創業の血筋を引く堀井家の手で再興したいとの思いからの開店であった。
ちなみに、現在、麻布十番界隈には3店の「更科」があるが他の2店はまったく別の経営である。
「そば・うどん 第31号」柴田書店より 岩崎信也氏 執筆
ADDRESS
東京都港区元麻布3-11-4
3-11-4 Motoazabu, Minato Ward, Tokyo
TEL (11:30-15:30・17:00-20:30/WEEKEND:11:30-20:30)
03-3403-3401
+81-3-3403-3401
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