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月窓寺(げっそうじ)
GESOJI

月窓寺門前市夏まつり

吉祥寺にある安養寺・光専寺・蓮乗寺・月窓寺は総称して「四軒寺」と呼ばれています。
その中の1つである月窓寺は、吉祥寺駅北口から北に伸びるサンロード商店街と山門が接していて、本堂、吉祥閣(受付)、墓所で構成されています。

地域住民との大切な交流の場

広場では夏になると盆踊りが開催されたり、お正月には無料で貸し出される羽子板・けん玉・コマなどで遊ぶこともできます。
その他にも月窓寺が主催する様々な催しがあり、地域住民に関わらず誰でも参加することができます。
参加を希望する場合は、あらかじめ寺務所に問い合わせましょう。連絡先は本ページの最下部に記載しています。

■坐禅会(第1火曜日:6時から8時)
月に1度の早朝坐禅会です。住職による初心指導などもあります。

■子ども会(第1土曜日:13時から16時)
小学生が対象。住職のお話、坐禅、全員でお経の唱和もします。
5月は客殿にある竹林でタケノコ掘りを楽しむなど、季節に応じた行事も実施します。

■合気道(毎週火・金・土曜日)
師範による合気道の指導もあり。中学生以下の少年の部もあります。

■書道会(第1・2・3水曜日)
玄潮会の講師による書道会。全日本書芸文化院に毎月競書を出品し、実力の向上を図っていきます。
希望者には展覧会への出品指導も行われます。

■裏千家茶道(第1・2・3金曜日)
月窓寺内にある茶室で茶道を嗜みます。

■太極拳(第2・3・4土曜日)
講師の指導のもと、ゆっくりとした動作で無理なくできる健康拳法体操を行います。

■門前市夏祭り(8月初旬)
子どものスイカ割や各種ダンスの催し、盆踊り大会などが開催されます。
盆踊りでは、初めての人も参加しやすいように踊りの動作の解説があったり、同じ曲を続けて踊ることもあります。

コロナ禍では家賃減額を実施

2020年に発生した新型コロナウイルス。外出自粛のムードが続くなか、吉祥寺の有名店である芙蓉亭、葡萄屋、ボンジュール・ボンなどを含む多くの店舗が閉店しました。

吉祥寺駅周辺の大地主である月窓寺を含む3寺はこの状況を鑑み、2020年4月から1年間の地代を20%減額することを決定。借主に通知しました。これは戦後初のことだそうです。

吉祥寺の街を守るために全面的にバックアップしています。

※東京新聞Web:2020年7月17日07時16分アップ記事より引用

月窓寺略年譜

下記は「月窓寺史(令和元年12月発行)」に記載されている月窓寺略年譜です。
年譜の中に「示寂(じじゃく)」という言葉が出てきますが、意味は菩薩や高僧がお亡くなりになることです。

「月窓寺史(令和元年12月発行)」

天正18年(1590年)
小田原城落城し、北条氏滅ぶ。徳川家康、江戸へ入る。
月窓寺の前身である東岸寺、この頃草創か。

慶長8年(1603年)
徳川家康、征夷大将軍となり、江戸幕府を開く。

元和元年(1615年)
幕府、「諸宗諸本山諸法度」定む。東岸寺の本末関係は不明。

寛永17年(1640年)
幕府、宗門改役を設け「宗門改帳」を作る。これによって「寺請制度」確立する。

正保2年(1645年)
2月4日、天暁院殿月窓妙清大姉、示寂する。他に、洞巌寺殿竺岩道仙大禅定門、長清院殿挙室真三大姉、円空院殿寂室幻性大姉が東岸寺「古開基」として並記される。

承応2年(1653年)
幕府、玉川上水施設工事を許可し、翌3年完成。

明暦3年(1657年)
1月、明暦の大火(振袖火事)。諏訪山吉祥寺、門前共に焼失。

明暦4年(1658年)
1月、再び江戸大火(吉祥寺の火事)。吉祥寺焼失し、現在地(文京区駒込)へ移転。

万治2年(1659年)
幕府、罹災した門前町人・浪人らに、牟礼野の新墾地を与え、5年間の扶持米と造宅費を貸与す。この年より農民の移住始まる。吉祥寺村と呼ぶ。

万治3年(1660年)
開拓は後北条氏の旧臣松井十郎左衛門をはじめ、浪人らが中心となったと伝えられる。

寛文元年(1661年)
巨深繋芸大和尚が東岸寺を現在地に移して小宇を建立し、師の洞厳龍雲大和尚を勧請して開山とし、自らを2世とする。このおり宝泉寺(中野区)と本末関係を結んだと推定される。

寛文3年(1663年)
開山洞厳龍雲大和尚、示寂。

寛文4年(1664年)
吉祥寺村、検地される。「辰御縄水帳」に東岸寺と記載される。

寛文5年(1665年)
この年より貢租を納める。この頃、東寺を改め、雲洞山天暁院月窓寺と号するか。

寛文8年(1668年)
3月、境内に逆修供養地蔵尊、造立される。

貞享2年(1685年)
2世巨深緊芸大和尚、示寂。

元禄初期(1688年〜)
吉祥寺(文京区駒込)14世衝天良志大和尚、当山に隠居する。これを慕って吉祥寺門前の農民が当村に移り、開拓に従事したという。この開拓地とは「吉祥寺八丁」(三鷹駅東北)のことか。

元禄12年(1699年)
この年、月舟宗胡大和尚、卍山道白大和尚、一師印証、面授嗣法によって、曹洞宗の命脈を正すべく尽力し、宗風を匡正する。

元禄年中(1688年〜1704年)
この頃、庶民生活が安定し、庶民信仰が降昌。
当山境内に観音堂が建立され、村民たちの篤い信仰が寄せられたといわれるのも、この頃以降のことか。

正徳3年(1713年)
3世道山祖秀大和尚、示寂。

享保元年(1716年)
享保の大改革が行われ、農民が圧迫される。

享保17年(1732年)
大飢饉。農民さらに困窮。一方、この頃から五日市街道の交通量が増加し、数軒の人馬の休息所が設けられる。

元文5年(1740年)
この頃から陸稲、甘藷、菜種、藍の栽培、養蚕が始まり、村民らの収入が増加。春蚕のおり、年一回、当山杉林で大きな「市」が立ったと伝えられるのは、この頃以降のこと。

文政7年(1824年)
幕府、諸国に「地誌書上」を命ず。「新編武蔵風土記稿」の当山の記述はこのおりのもの。この頃、小金井堤の桜が名勝とされ、五日市街道がさらに賑わう。当山の寺運も興隆か。

天保12年(1841年)
12月26日、19世没底石藍大和尚の代、当山は、火災に罹り、諸堂宇焼失。本尊、過去帳等は、無事に搬出するが、他の諸尊像、日記等はすべて焼失する(「寺院明細簿」)。本堂再建の寄付を募る。

天保13年(1842年)
2月、檀信徒から80両を超える本堂再建寄付を受ける。

嘉永元年(1848年)
21世鉄真如禅大和尚代、本堂を再建。

嘉永4年(1851年)
21世鉄真如禅大和尚代、半鐘・太鼓の寄進を受ける。

慶応3年(1867年)
大政奉還。徳川幕府崩壊。王政復古。

慶応4年(1868年)
3月13日、神仏判然令(神仏分離令)が発令される。
10月23日、慶応4年を改め、明治元年となる。

明治3年(1870年)
1月3日に出された詔書「大教宣布」等をきっかけとして廃仏毀釈運動が活発化し、広まる。諸寺院、荒廃する。
23世大城活眼大和尚、「寺院明細帳」を提出する。弟子2人の記載あり。

明治4年(1871年)
「宗門改帳」「寺請制度」廃止。

明治8年(1875年)
23世大城活眼大和尚、隠居を命じられる。
大成蜜禅大和尚、24世となる。

明治12年(1879年)
永平寺、總持寺の両寺一体を基底とした「両山盟約」が成り、近代曹洞宗教団の根幹となる。

明治22年(1889年)
吉祥寺、西荻、関前、境の4か村が合併し、武蔵野村となる。

明治23年(1890年)
21世鉄真如禅大和尚、福島県興国寺で示寂。

明治32年(1899年)
甲武鉄道口祥寺駅設置に際し、月窓寺寺地を提供する。

明治39年(1906年)
23世大城活眼大和尚、30年の隠居の後、示寂。

大正11年(1922年)
24世大成蜜禅大和尚、埼玉県休山寺で示寂。

大正12年(1923年)
関東大震災。以後、武蔵野村の人口が次第に増加する。
25世活翁祖眼大和尚、示寂。

大正13年(1924年)
大安実英、月窓寺に晋山入寺し、26世住職となる。

昭和16年(1941年)
太平洋戦争、勃発。昭和20年(1945年)終戦。

昭和31年(1956年)
本堂・観音堂・庫裡の再建・大修理完工する。

昭和46年(1971年)
吉祥寺駅周辺再開発事業に協力。墓地を現在地に移転。

昭和51年(1976年)
当山の白衣観音像、「市重宝」に定められる。
26世大安実英大和尚、示寂。
泰山昭賢、月窓寺の法燈を嗣ぎ、27世となる。

昭和56年(1981年)
吉祥閣(茶室・客殿・教化道場)完成。寺容を整え中興する。

平成19年(2007年)
本堂耐震補強工事落成。

平成23年(2011年)
東日本大震災。この年、40回を迎えた花まつりは、特に犠牲者の供養と被災地の復興を祈念する(主催・武蔵野仏教会、会場・月窓寺)。

平成27年(2015年)
27世泰山昭賢大和尚退董式及び、義岳泰隆和尚晋山式が挙行され、28世となる。

平成28年(2016年)
教化活動40周年を迎え、記念行事を執り行う。

ADDRESS
東京都武蔵野市吉祥寺本町1-11-26
1-11-26 Kichijoji Honcho, Musashino-Shi, Tokyo

TEL
0422-22-2345
+81-422-22-2345

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